接遇についての記述
日本の貿易政策について起きていることが、金融政策においても起こっていると考えるこないだろうか(私自身は、あるべき姿を求めて社会を改造するという考えに賛同しない。
いかなる産業に対してであれ、根拠のない規制と保護を減少させた結果として生成される経済社会こそが望ましいと考える)。
永久にデフレを続けることはできないそもそも、永久にデフレを続けることができるだろうか。
日本の国債残高は670兆円で、名目GDPの500兆円を上回っている。
しかも、財政緊縮に取り組んでいるとしながらも、毎年30兆円以上の国債を発行している。
10年で300兆円以上の国債残高が増大していく。
10年後には国債残高は1000兆円、20年後には1300兆円、30年後には1600兆円以上になるだろう。
そして、この見方が正しければ、デフレはかなり長いあいだ続くことになる。
デフレは日本の政策決定システムそのものから生まれているからだ。
では、デフレはいつ終わるだろうか。
デフレを続けていなければ困る人びとの力はそのまま維持されるだろう。
それどころか、国債発行額が増えるにつれて強化されるだろう。
あとは、デフレが続くことによって、人びとがどれだけ困るかだ。
競争圧力にさらされている部門のみならず、規制産業の労働者が失業の恐怖を感じるほどに失業率が高まる。
デフレによる税収減が、公務員やそれに準じる人びとの所得を大幅に削減する。
年金が払えなくなるなどである。
それはかなり危機的な状況である。
そうなる前に、いま、デフレを終わらせなくてはならない。
人口は減少し、高齢化は進む。
年金、医療、介護負担は急増していく。
デフレが進めば、名目GDPは減少していくだろう。
30年後には、国債の対名目GDP比は400%になっているかもしれない。
これで永久にデフレが続くということがありうるだろうか。
今後10年間はなにも起きないかもしれない。
しかし、20年後には何かが起きるかもしれない。
30年後にもなにも起きず、インフレにならないということが可能だろうか。
いま、デフレから脱却すれば、わずかにインフレ率が上がるだけである。
物価が上がり、名目金利が上昇し、為替レートが低下する。
名目金利が上がっても、企業の利益が上がり、雇用が増える。
為替レートの低下によって、限界的な企業が息を吹き返す。
対外債権の円建てでの価値が増大する。
しかし、30年後には、物価が上がっても、増やすべき雇用をもっている企業はないかもしれない。
それどころか、高齢化によって、増やすべき労働力が存在していないかもしれない。
為替レートが下がっても、競争力を回復する企業が存在していないかもしれない。
対外債権を使い果たして、日本は対外純債務国になっているかもしれない。
対外債務の実質価値が上がって、破綻する企業が続出するかもしれない。
30年後のインフレは悲劇である。
悲劇を避けるためには、いま、デフレを終わらせなくてはならない。
40年前のフランスのデフレに学ぶこのままデフレが続けば、すべての企業が破綻し、すべての銀行が破綻する。
これは、とうてい構造改革を行えるような状況ではない。
憤撤が社会を覆い、政治的な過激派が権力を掌握するかもしれないという状況が導かれるだろう。
もちろん、現在の日本は、そこまでの状況にはなっていない。
むしろ、40年のヒトラー侵攻直前のフランスの状況に近いかもしれない(以下は、H〜2002〜による)。
フランスには、世界大恐慌は遅れてやってきた。
フランスは28年に平価を切り下げてから金本位制に復帰しており、29年に旧平価で復帰した日本のようにデフレショックを味わうことはなかった。
大恐慌は強いデフレとともに始まったが、フランスのデフレは31年までは相対的には軽微だった。
アメリカとドイツが31年までに鉱工業生産指数で見て3割の収縮を味わったのに、フランスの低下幅はその半分だった。
世界大恐慌のなかでフランスは破局を免れた繁栄の孤島といわれていた。
しかし、フランスのデフレは35年まで続き、生計費指数も最終的には25%低下した。
鉱工業生産指数も35年までで3割低下した。
これは、アメリカやドイツが33年までに経験した大恐慌と大差ない。
ちがいは、35年にはアメリカもドイツも大恐慌からの回復を始めていたのに、フランスの回復は遅れていたということだった。
フランスは世界大恐慌のなかで、相対的には緩慢な恐慌を経験した国だった。
とすれば、今日、緩慢な停滞を経験している日本が、フランスから学ぶことは多いのではないだろうか。
フランスにおいて大恐慌からの脱却が最後まで遅れたのは、金本位制に固執していたからだった。
フランスが金本位制から離脱するのは36年である。
ソルボンヌ大学のH・C教授は、「多数の指導者の精神に芽生えた無力感を理解する鍵は36年まで続いた大恐慌にあり、そうであるからこそ、社会主義的政策へのユートピア幻想が生まれたのだ」と指摘している。
これは、現在の日本において盛んな構造改革論の幻想と似ている。
どのような構造改革をすれば停滞から脱却できるのか、だれも説明できないにもかかわらず、多くの人が構造改革論を唱えている。
とはいえ、フランスの40時間への労働時間短縮をはじめとする社会主義のユートピア政策は機能しなかった。
実質賃金が上昇し、生産の弾力性が失われたからである。
38年でも、生産は19年の25%減だった。
経済は徐々に回復に向かっていたが、時すでに遅かった。
フランスは自信を失い、社会は分断されてしまった。
なぜデフレから脱却しないのか。
惨めな敗北の真の理由は、長い経済停滞がもたらした社会の分断になかっただろうか。
経済停滞がフランスの戦意を挫いた。
第二次世界大戦でのフランスの惨めな敗北は、大恐慌からの脱却が遅れたことが大きな影響をおよぼしている。
開戦時、ドイツとフランス・イギリス連合軍のあいだに決定的な軍事力の差はなかった。
兵員数は、ドイツの260万人に対して、フランスは290万人。
戦車は、ドイツの2977台に対して、フランスは2945台。
戦闘機は、ドイツ900機に対して、フランスは560機、イギリスは605機だった。
にもかかわらず、フランスは惨めな敗北を喫する。
40年5月10日、ドイツ軍はベルギー、オランダ、ルクセンブルグを攻撃し、6月104日にはパリに入場する。
強固な要塞であったマジノ線のないベルギー国境から侵攻された意外性や、機動部隊の不足が、通常、敗戦の原因としてあげられる。
しかし、第1次世界大戦でも、ドイツはベルギー国境から侵攻してきた。
油断というには、あまりにひどすぎる油断である。
戦車も戦闘機もフランスはもっていたのだから、マジノ線を突破されたとき、フランスには絶望しか残っていなかった。
しかも、絶望は、それで終わったわけではない。
レジスタンスは美しい物語ではなかった。
レジスタンス派と対独協力者との戦いは残忍をきわめ、フランス解放前後に1万人以上の対独協力者が正式の裁判なしに処刑された。
現実には、レジスタンスはほとんど散発的な抵抗にすぎなかった。
レジスタンス派が勝利したのは、結局のところ、連合軍が勝利するという予想が日和見主義者をレジスタンス派に転換させたからだった。
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